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快晴31 理解力と含蓄力は違う 

11月 12th, 2012

いつもありがとうございます。

ようやく涼しくて気持ちのよい季節になりました。と喜んでいた私でしたが先日、毛虫(茶毒蛾の幼虫)に刺されて体中に発疹してしまいました。40年生きてきてこんなにかゆみで苦しんだのは初めてです。チャノキ、ツバキ、サザンカなどツバキ科の植物の葉っぱを好むようなので皆様くれぐれも注意してください。

さて、今回のテーマは「理解力と含蓄力は違う」です。

大人はよくこどもたちに「わかりましたか?」などと聞きます。「まだあなたには理解できないでしょうね」「まだこの子には難しすぎるかな」といったことばもよく耳にします。たしかに幼いこどもが理解できることばは大人に比べれば限られます。できるだけその子がわかりやすいように噛み砕いて説明してあげることは大切なことです。ただし見落としてはならないのは、その時は理解していないとしても聴かせたことばはその子の中に確実に蓄積されていくということです。それが「理解力」とは別の「含蓄力」です。

“読書百遍義(意味)自ら見(あらわ)る”という熟読の重要性をあらわしたことばがあります。難しいことばでも何度も読んで口にしていると自然に意味がわかってくるもののようです。理解できるかどうかだけを基準にしてこどもと接していては与えられることばは限られます。赤ちゃんことばや、「かっこいい」「かわいい」「すごい」ばかりでは味わい深い日本語を聴かせる機会を逃してしまうことになりかねません。その場で理解できないとしても潜在的にとりこまれていくのだからできるだけ美しい日本語を聴かせようという大人側の配慮が肝心な気がします。そういった視点を持つとことばの選び方が変わってくるのではないでしょうか。美しい日本語、きれいな外国語、一流の音楽を聴かせる。それから真理のことば(論語など)の素読をさせるといったことも含蓄力を高める上で効果があるように思います。

これはことば(聴覚)に限ったことではなく、目を肥やす(視覚)ということにもつながるはなしです。美しい自然、名画、一流プレーヤー(テニスなど)の試合を見せるといったこともその場で何か変化が見られるものではないでしょうが間違いなく潜在的にその子のなかに取り込まれていくはずです。

テレビばかりで見る目が無くなり、ひどいことばや音楽を聞いて耳が衰え、乱れた日本語を口にして人間がすさんでいくのは考えてみるとあたりまえのことです。美しいものを見て、美しい音、ことばを聴いて、味わいのあることばを口にする、それによって感性豊かな魅力的な人間が育つ、これも至極あたりまえのことではないでしょうか。ところが特に現在の日本ではそういった環境を与えられることはまれで偶然そういった環境に恵まれた子はラッキーとでもいうべきでしょう。そこは親であるわれわれが配慮して環境を整えてあげたいものです。

こどもたちの吸収力、含蓄力はわれわれ大人が想像する以上に旺盛です。まだ幼いからといってこどもの前で親が彼らの不満を口にしたり、他の子の悪口をいったり、口汚いことばで夫婦喧嘩をしたりすることは絶対に禁物です。理解していなくともそれ以上に強烈に感じ取り吸収していますから。私などはすぐじれてしまい三年生の息子に「わからない奴だな~、お前は幼稚園生か!」などと頭ごなしに浴びせてしまいますがいけませんね。理解できていないようでも丁寧に美しい日本語でことばをかけること。そういった長い目で含蓄力を育てようという余裕がほしいものです。

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