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快晴26 牛のケツではつまらない

5月 8th, 2012

いつもありがとうございます。

Kテニススクールが開講して2年が経過しました。テニスと運動能力の基礎をつくるという方針を継続してきてその成果が着実に表れ始めている感触を得ています。3年目に入りもう一度基礎の大切さを確認しつつ質の高いレッスンを目指してやってまいります。

さて、今回のテーマは見ただけでは何だか意味がわかりませんね。これは私が心の師匠として大変尊敬している安岡正篤先生の著書に載っていた逸話から取り上げさせてもらったテーマです。少し長くなりますがその著書から文章を抜粋いたします。

東京に南隠という偉い禅僧がいた。ある日、新進の仏教学者がやってきて和尚に向かい盛んに仏教を論じはじめた。いろいろの書物を引用し、新しい研究の材料を羅列してやるものだから、はじめてそういう話を聞く禅師は、ほう、そういうことがあったかと熱心に耳を傾けている。俺の新研究に驚いたかと学者も内心得意になっていた。さんざんまくしたてた後暇乞いをする際、禅師は「いや、お蔭様で今日は大層面白い話を聞かせてもらった」と別れの挨拶を済ませて出ようとした時に、さも感に堪えぬような声でたった一言、「あんたは牛のケツじゃな」と言われた。なんのことか分からぬので、へえ、といって帰って来たが、学者先生苦になって仕方がない。牛のケツというものは余り見てくれの良いものではないから、褒めた事とも思えぬが、然しあんなに真面目に感に堪えぬ様な声で言われたのであるから、いずれにしてもよほど意味があるに相違ないというので、辞書を引っぱり出してさんざん調べてみたが分からない。とうとう百計尽きて、ある日再び禅師のところへ出かけて行った。そうして無駄話の末に、「先日禅師から『あんたは牛のケツじゃな』と言われましたが、どうも私、浅学寡聞にして、その意味がよく分かりませぬ。なにとぞお教え願いたい」と言ったところが、禅師は大笑して「それだから学者は困る。牛はなんと言ってなくか、もう、と言ってなくじゃろ。ケツはお尻じゃ。だから、お前さんはもうのしり(物知り)じゃなと言ったのじゃ」と言われた。これを聞いてその学者も、もうがっかりしてしまって、開いた口が塞がらんで帰って来たという。

まさに現代の潮流を風刺した逸話ともいえるのではないでしょうか。いわゆる物知りがちやほやされ、知識をひけらかすクイズ番組がもてはやされているのが今の時代です。皆が争って知識、情報を取り込もうと死に物狂いになっています。知識が生活の役にたつことを否定はしませんが何だか情報に振り回されていて人間が主体か情報が主体かわからなくなってしまっているような状況に陥っている気がします。

ネット社会では情報がいとも簡単に収集できてしまいます。収集するどころかこちらが遮断しなければテレビ、携帯電話、パソコンとあらゆる方向から情報が入りこんできて消化不良をおこしてしまうほどです。情報社会にどっぷり浸かってしまっている現代人の多くは常に新しい知識、情報を取り入れていないと落ち着かない病に侵されていておそらく消化不良をおこしていることにさえ気がついていないのかもしれません。

とくに環境の影響を強く受けやすいこどもたちには我々大人が一定の配慮をする必要があるでしょう。本人たちは知識、情報を豊富に持っている人は話しがおもしろいしかっこがいいので魅力を感じているかもしれません。親がこどもの“よく知っている”ことばかりに注目し褒めそやしたとしたらそのこどもは一体どんな大人に成長するのでしょうか。

「よく知っているね」とこどもを褒めるよりも「よく我慢した」「約束が守れて偉い」「自分から進んでやるとは感心だ」「人の立場でものが考えられるとは大したものだ」といったその子の人間性の善さこそ見逃さずに認めて伸ばしてあげたいものです。

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